フィフィ「柔道が“JUDO”になった…良い意味でも悪い意味でも」相次ぐ審判の微妙判定に私見(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/d1aaf7a6aed168acd14717c7a0306f727a9c99e6
エジプト出身のタレント、フィフィ(48)が28日、X(旧ツイッター)を更新。パリオリンピック(五輪)柔道で微妙判定が続いているとして私見を記した。 フィフィは「今回のパリ五輪の柔道を見て思うこ
みんなの回答
ココチャンネル
本当にその通りですね。
相変わらず誇らしい、いい試合を見させてもらいました。
日本の柔道=武術はとっくの昔に消滅しており、現在は柔道=スポーツと定義づけられている。それは戦後GHQにより柔 ・剣道が禁止されていたのを、なんとか普及させるための苦肉の策だったのかもしれない。
しかしそのおかげで、オリンピック競技にまで食い込む世界的有名なスポーツにまでのしあがった。スポーツである以上、今皆が今騒いでいる「JUDO」は何もおかしいことではない。
ただ日本人が大切にする本来の柔道=武術とは異なるだけ。
本題に戻るけど、結局のところオリンピックの「じゅうどう」が「JUDO」であるならば、私たちも「JUDO」をやるしかないのだと思う。時代は変わりルールも変わっている。
いくら日本は真っ向勝負しても、そもそもが同じ土俵で戦っていなければ無意味だし負けるのが目に見えてる。
もし私たちが大切にしている本来の「柔道」を守りたいのであれば、むしろ参加しない方が潔くていいと思うけどね。
義を重んじ、正しいルールのもと、真剣勝負できない試合はやる意味がありません。
それでメタルをとって喜んでいる姿を見ると哀れでしかありません。
今後柔道とJUDOが全く別の競技として認められることを祈ります。
義を重んじ、正しいルールのもと、真剣勝負できない試合はやる意味がありません。
それでメタルをとって喜んでいる姿を見ると哀れでしかありません。
今後柔道とJUDOが全く別の競技として認められることを祈ります。